母の仕事と教団通いで夜型生活になっていった小学生の私たち
私たちが小学生に上がった頃、母は生活のため掛け持ちで仕事をしていました。
そのため教団施設に通うのはいつも母の仕事が終わった夜。そこから施設でしばらく過ごし、帰ってから食事と風呂を済ませます。
そのため私たちが寝る時間はいつも日付が変わってからと、小学生にしてはかなり遅い時間になっていました。
土日も同じような生活で、母は夜まで仕事でその後教団施設に通います。たまの母の休みの土日は朝から晩まで教団のイベントなどに参加していました。
そんな生活が数年間続くと、私たちはすっかり夜型生活人間となっていました
夜型姉妹と集団登校。怒られ続けた記憶。
私たちが通っていた小学校は、朝だけ集団登校でした。
団地は子どもの人数も多かったため、いくつかの班に分かれて登校します。
しかし、私たちは母の宗教活動によって完全に夜型生活となっており、早起きはめっぽう苦手…。
さらに小学生になる頃には、父は自営業の店が休みの月曜日の昼にしか家に帰ってきておらず、母も朝早くから仕事に出掛けていました。
私と妹だけの平日の朝。朝食を食べた記憶などありません。少し早めに設定されている集団登校の集合時間には間に合わず、いつも姉妹で登校していました。
そんな中で嫌だったのが、集団登校の班会議。
授業の時間を使って年に何度か行われるのですが、全学年が集団登校の班別に集まり、登下校時の問題点などについて話し合うのです。
そこで毎度、私たち姉妹が毎朝集団登校に来ないと言うことを担当の先生に”チクられ”ます。
そして先生は、なぜ集合できないのか?と他の生徒達の前で私達に聞くのです。
理由は夜遅くまで続く母の宗教活動による寝坊なのですが、母や教団のせいにすることを思いつきもしなかった小学生の私たち。
いつも、寝る時間が遅くて寝坊してしまうことをみんなの前で謝っていました。
通常、小学校5年生になると班の副班長、6年生になると班長に任命されます。
しかし、遅刻の多かった私は5年生になっても副班長には任命されませんでした。
代わりに年下の4年生の男の子が任命されましたが、その時は大して何とも思いませんでした。
ただ、その1年間は余計に集団登校に行きづらかったです。面と向かって遅刻を注意してくる男の子だったので、校内でも彼を避けていました。
祖父母にも呆れられた“遅寝遅起き“
小学生の頃は自分達でバスに乗れるようになったこともあり、土日はよく祖父母の家に泊まりに行っていました。私たちの生活習慣は、早め早起きの規則正しい生活を続ける祖父母にはいつも驚かれていました。昼近くまで寝ていて、夜は夜中までゲームをしている。眠れなくて夜中に抜け出して公園へ行く。“遅寝遅起き“と呆れていましたが、祖母は見捨てずに何度も注意してくれました。
日曜日の夜になると仕事終わりに母が迎えに来ます。大抵22時過ぎだったので、私たちはご飯もお風呂も済ませた状態です。そこから残っていた母の夕食が始まり、荷物をまとめて祖父母宅を出ます。さらにその後教団施設に顔を出してからやっと帰宅します。
そうして月曜日からも結局、遅刻ギリギリの日々が続くのです。
中学、高校、大学…大人になってからも残る夜型の生活習慣
子どもの頃から培われた夜型の生活習慣は、その後も抜けることはありませんでした。
そのためその後の学生時代はずっと朝は遅刻ギリギリの生活が続いていきます。
大人になった今でも全く抜けていませんが、子育て中の私は朝から動かざるを得ないことも多く、生活自体は子ども達に合わせたものになっています。
時折長期で実家(妹のマンション)に帰ると、未だに母は夜型の生活を続けているため、子ども達の生活リズムがかなり狂います。
私も体に染み付いた生活リズムは夜型なので、子育てで一番辛いのは早起きと言っても過言では無い程苦労しています…。