母と親戚たちとの関係。四面楚歌状態になったきっかけ〜信仰の傍ら育ち!母と教団とその他な私たち〜

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両親、兄妹に見放され四面楚歌状態になっていった母

母は4人兄妹です。
母の兄妹達がいつ母の宗教のことを知ったのかは覚えていませんが、兄妹仲に決定的に亀裂が入ったのは、母がある事件を起こしたからです。

娘の更生を信じた両親と出家して逃げようとした娘

私たち姉妹がまだ幼稚園の頃だったと記憶しています。この時すでに母は、教団を辞めるよう祖父母から何度も説得されていました。そんな祖父母に、母は教団と縁を切る為と嘘をついてお金を借り、それをそのまま教団に寄付したのです。

実はこの時、母は私たち姉妹を連れて出家しようと考えていました。
どういう形でお金が必要になったのかは分かりませんが、出家する際の資金として祖母にお金を借りたのです。
結局教団からは出家自体が認められず(その頃教団に逃げるように出家する人が増え、残された親族から訴えられるなどの問題が発生していました。)母は教団に勧められるがまま、そのお金で特別セミナーに参加しました。
妹ぐりはそれには参加せずに祖父母に預けられていたと思います。
私と母、2人で教団本部の施設で数日間特別セミナーに参加していました。

母は祖父母からお金を借りておきながら、最初からお金を返す気はありませんでした。そのまま逃げるように出家する気だったからです。
祖父母はそのお金で教団を辞めてくれると信じていましたが、母の中で辞めるという選択肢など全くありませんでした。

実家に呼び出され、みんなに囲まれて批判された母…そして勘当

後日、母が教団を辞めていない事を知った祖父母と兄妹たちは、真相を聞くため母を呼び出しました。
そして祖父母の家で話し合いが行われたのです。
いとこたちも来ていましたが、「子どもは1階にいろ!」と祖父が大きな声を出して私たちに指示をしたのを覚えています。
強い口調だったので怒られるのも嫌で、大人しくそれに従いました。

母達大人は、2階の部屋に集まり、母の周りを祖父母たちが囲む形で話し合いが行われたそうです。
私は話し合い中の事は何も知りませんが、母の側から離れられなかった妹ぐりは、その場に参加していました。

話し合いで、母は祖父母に返すお金も無いし、教団を辞める意思も全くない事をはっきり伝えました。
そんな母をみんなで説得していた様ですが、母は全く揺るがず…。母は結局祖父母のお金を騙し盗っただけ、ということになりました。

そんな母を許せなかった祖父母と兄妹たちは、母に勘当になるか教団を辞めるか選べと迫りました。しかし、やはりここでも教団を辞める選択はしなかった母。結局実家を勘当されることとなります。
帰り際に、母が実家の合鍵を返させられていたシーンを覚えています。

そしてこれがきっかけとなり、現在に至るまで母は自身の姉から無視され続けています。

親戚達との中途半端な関わりが続いた母。私たち姉妹には差別せず接してくれた親戚達

勘当されたと言っても、私たち姉妹はよく祖父母の家に行っていたため、母と実家との関わりは全くなくなったわけではありませんでした。
ただみんなで集まる場には母は一切顔を出しませんでした。
母が親のお金を騙し取ったことにみんな怒ってはいましたが、身内をそこまで非難し続けることもできなかったのでしょう。
母がここまで宗教にはまってしまったのは子育て中の母を独りぼっちにした父のせいだと、どこか同情的な空気にもなっていました。
母の兄や祖父母も、なんだかんだ母が心配だったようで、たまに母と顔を合わせると一言二言会話はあり、全く無視している訳ではありませんでした。

私たちのおじやおばに当たる母の兄妹たちは、母が宗教にはまっているからといって、私たちを差別しませんでした。
母と私たちとを完全に切り離して見てくれていたのです。

よく祖母からは、「あなたたちのことが心配だから、お母さんにお金や食料を渡すんだよ。お母さんの事はもう諦めている。あなたたちだけでもどうにかしてあげたいだけ。」と言われていました。
ただこの事件の後、祖母からは、よく母の悪口を聞かされるようにもなりました。
私たちがまだ小さかった頃に起こった事件ですが、大人になるまで何度も繰り返し、祖母から当時の話を聞かされました。

父方の親戚とは、家が近かったこともあり小さい頃は交流がありましたが、やはり母の宗教のことで少し距離を置かれていたと感じます。
誰も表立って、そのことを口に出す人はいませんでしたが、あまり関わりたくないと言う雰囲気は伝わってきました。
最後に会ったのは父方の祖母の葬儀の時でしたが、その時の会話も社交辞令で終わっています。

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