ビラ配りでの忘れられない思い出〜信仰の傍ら育ち!母と教団とその他な私たち〜

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教団で盛んに行われていた活動。積極的に参加する母と姉妹

これは私たちが小学生になった頃の記憶です。

当時の教団では、勧誘のためのチラシ=ビラを配る活動が盛んに行われていました。
無償で行う教団へのボランティア活動は、教団内では“徳を積み高い世界へ生まれ変わるため“の大切な行為とされています。
財産を教団に寄付する”お布施”も徳を積めるとされていますが、わが家は貧乏であまりできていませんでした。そのため母は、徳を積むため、と、積極的にこのビラ配りに参加していました。

夜な夜な行われるビラ折りとポスティング

教団の教えや連絡先の書かれたビラを何千枚と持って帰り、それを折るところからスタートです。
毎日夕飯の後に夜遅くまで母と姉妹の3人で折っていた記憶があります。
そして折り終わったら、そのビラを知らない人の家のポストに入れに行きます。子ども連れの母は、昼間だと目立つので、これも夕飯を食べ終わった夜遅くに行っていました。

母と共に車で近場の住宅地まで行き、車を降りたら徒歩でビラを配っていきます。
教団が問題を起こした後だったので、ビラをポストに投函しているのを見られたら怒られる!と子どもながらに思っていました。そのためポスティングの際はいつも周りに人がいないか警戒しながら行っていました。

集合住宅などは3人で棟ごとに分かれてポスティングをしていたので、母と離れることになります。
夜遅くに子どもが1人でポストにいる…そんな状況は他人から見たらさぞ不思議だったでしょう。
一度だけ、「何してるの?」と地域の人に声を掛けられたことがありましたが、驚いて逃げだしましたのを覚えています。

子どもにとっては全く楽しくないポスティング。
特に冬場は寒く、早く帰りたいと何度も母に言っていました。
その度に「あと○○枚配ったらね。」「この区画が終わったらね。」と誤魔化されながら、なかなかやめてくれない母に着いて行っていました。

母がたまに買ってくれる自販機のジュースを、3人で分け合って飲んだことがビラ配りでの唯一のいい思い出です。「せっかく積んだ徳が減っちゃったね。」と毎度母に言われていましたが…。

嫌な思い出しかない街中での対面ビラ配り。

人と顔を合わせないですむ夜のポスティングは、私の中では”まだマシ”でした。
本当に嫌だったのは、休日の昼間に街中で直接通行人にビラを配る活動。

問題を起こした宗教団体のチラシを配る私達に向けられる視線はかなり冷たいものでした。
警察を呼ばれたこともあります。
しかし教団の大人たちからは、子どもが配った方が受け取ってもらえるから、と私たちもビラ配りに積極的に参加するように求められていました。

「よろしくお願いしまーす。」と、声を掛けながら1枚1枚配るビラ。道行く人にはなかなか受け取ってはもらえません。無視されたり拒否されたり…子どもでもしっかり傷つきました。

それは中年のサラリーマンにビラを配った時のこと。その人は思いっきりビラを床に叩きつけました。
私の手を直接叩いた訳ではありませんが、私が手に持ってその人の手元に向けた状態のビラを叩かれたので、かなりの衝撃がきました。
「こんなチラシを配って!……!!」何と言っていたのかは分かりませんが、強い口調で怒っていたのは覚えています。
そして彼は更に、その場にいた母を含む他の大人達に向かって「子どもにこんなことをさせるな!」と怒鳴っていました。私は怖くて泣いていました。

その後はしばらくビラ配りには加らずに、街路樹の側で座っていたと思います。母や他の大人達には“悪業が落ちて良かったね“と慰め?られましたが、その時の悲しさと恐怖は大人になった今でも覚えています。

ビラ配りが終わってもどんどん冷たくなる世間の目

その後、教団が起こした問題によってビラ配り自体が許されない活動になっていったため、次第に行われなくなっていきました。心底ホッとしたのを覚えています。
あれ以来私はチラシを配るバイトは選ばず、配られたチラシを断るのも苦手です。

しかし、ビラ配りが無くなったことを心の底で喜んでいる暇もなく、次々と起こる教団の問題により、次第に教団施設に通うことすら世間から批判されるようになっていきます。

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